京の花暦
美しい花々は、人を魅了し、病んだ心に癒しをもたらすとともに、花々は、種々の神霊をも引き付け、虜にする。そんな魔性の力を秘めている。
日本人で、桜花を好まない者はいないだろう。平安時代以降、日本で“花”といえば桜花を指すようになった。春に咲く桜花が、ほかのいかなる花よりも可憐で、ひたむきで、潔く散ってゆくからだろう。「サクラ」の語源は、皐月(さつき)・早乙女・早苗などの「サ」に通じ、穀霊を意味したと思われる。また「クラ」は、神霊の依代としての「座(くら)」であり、つまり「サクラ」は、まさに稲作を守護する穀霊の依代を意味する語だった。
桜花を愛でる機会が花見である。花見は「山遊び」「山行き」の習俗がもとになっていると考えられる。旧暦4月8日を「卯月八日」といい、この日はお神酒や弁当を携えて皆で山へ入り、一日楽しく過ごす、いわゆる「山遊び」の伝承が京にも伝えられている。かつて花見は、単なる娯楽ではなく、信仰に依拠した大切な年中行事であった。何時しかその意味が忘れられ、今日のような行楽としての「お花見」に変容していったのである。花見の故事について、民俗学者の折口信夫(おりぐち しのぶ)は、その背景には、農村でその年の春咲く桜花の様子を見て、一年の豊凶を占う意味があったと解釈している。
4月に入ると、紫野界隈では「やすらい花」がおこなわれる。このまつりは、今宮神社の摂社である疫神社の祭礼であり、太秦の牛祭、鞍馬の火祭とともに「京の三奇祭」とも称されている。「やすらい花」は、春に桜花が咲く時期に蔓延する疫病を鎮めることを目的におこなうまつりであるとされ、「花鎮めのまつり」ともいわれる。京の古人は、桜花が散るときに疫病の原因とされた疫神も飛び散るので、それらの疫神たちを美しい花傘に寄せ集め、最後は疫神社に封じ込めようとしたのである。このまつりの一番の特徴は、春の草花で美しく飾りたてられた大きな傘が出ることである。この傘は花傘、風流傘などと呼ばれ、その下に入ればあらゆる災厄からのがれることができると伝えられていることから、いまも人々は我先に花傘に入らんと競い合う。
「やすらい花」に登場する花傘は、明らかに疫神の「座」であり、もっとも象徴的なものは、傘の上部に飾られた色鮮やかな草花であることはいうまでもない。これはまさしく、花が神霊の依代となる典型的な具体事例にほかならない。
今も京で「ハナ」といえば、常緑樹である「樒(しきみ)」を指すことが多い。たとえば、火伏せの信仰で名高い愛宕山では、参詣者は「火廼要慎(ひのようじん)」のお札と「樒」を受けて帰るのが習わしとされている。樒は愛宕山の神花とされ、人々は皆「オハナ」と呼んでいる。同様に、京では葬儀に飾る植物も基本的には樒であり、また墓地に供えるのも樒である。そしてそれらはともに「オハナ」と呼ばれている。
日本語の「ハナ」という語彙には、きわめて多岐的な意味が込められている。もちろん四季それぞれに咲く、色花。それ以外にも、結婚式で注目を集める「ハナ嫁」。芝居でひいきの役者に渡すご祝儀も「ハナ」という。さらに松や竹も「ハナ」となり、そこでは当然のように、樒も「ハナ」なのである。
京の東北部、大原から近江の葛川(かつらがわ)、朽木(くつき)へ抜ける若狭街道に「花折峠」という名の峠がある。この峠名の語源は、おそらく葛川参詣の天台回峰行者たちが、このあたりで坊村の明王院に捧げる「ハナ」を切り取ったことに由来すると思われる。その「ハナ」とは、まさに樒だった。同様の意味で各地に見られるのが「ハナオリ地蔵」や「シバオリ明神」などと呼ばれる、峠にひっそりと祀られている神仏である。名こそ「ハナオリ」と「シバオリ」で異なるが、実際に供えられているのは、いずれも樒であることが多い。このように考えると、「ハナ」も「シバ」も、ともに神仏に手向けるものということからして、日本語の意味としては同義であったと考えられる。さらに神仏に供える植物を「ハナシバ」と呼ぶことがある。この場合も、おもに樒を指すことが多いようだが、地域によっては榊や松とすることもあり、そこから考えても、日本語の「ハナ」と「シバ」は、もとは同義であり、それが指し示す植物は、おもに神霊に手向けられる常緑樹だったことが想像できよう。このように、京では少なくとも「ハナ」の語の古の意味が、いまも暮らしの中に息づいているのである。
しかし、多くの人々は、いつしか「ハナ」を「花」と限定的に理解するようになり、そして「ハナ」が、もとは神霊への供物であったという故事を忘却していった。古の「ハナ」は記憶から遠く消え去ろうとも、京の多くの寺社には、いまも故事に因んだ無数の「ハナ」が存在する。現代的な現世利益信仰の中でも、決して色あせることなく、四季折々に、人々を、そして神霊たちを、魅了し続けている。
雪化粧の南天(法金剛院)
井隼 慶人
法金剛院は阿弥陀如来を本尊とする律宗の寺院。平安時代初期、右大臣清原夏野の山荘をその没後に寺院として改めたことにはじまると伝えられる。12世紀の大治5年、鳥羽天皇の中宮であった待賢門院が旧跡を整備し、大池をつくるなど庭園が築かれた。それが今日に受け継がれている。境内に植えられた南天の木は、初夏に白い花を咲かせ、晩秋から初冬には赤色の小さな球状の実をつける。ナンテンの音が「難を転ずる」に通じることから魔除けの木とみなされ、鬼門に植えるとよいとする俗信が生まれた。また鞍馬の火祭で、松明を担ぐ者はすべて南天の小枝を背中に指すという習わしがある。さらに南天の実は、古くから咳止めの薬としても用いられてきた。南天の実が雪を被ると、ひときわその赤さを増し、寒中に咲いた花のように、さらに彩り鮮やかに映える。
〈法金剛院〉 京都市右京区花園扇野町
1月・2月:寒椿(法然院)
春日井 路子
法然院がある地は、13世紀初頭の建永元年に、法然上人が弟子の住蓮・安楽と念仏三昧行である「六時礼讃」を勤めた場所と伝えられる。寒椿は12月から1月に少しずつ花を咲かせることが特徴だ。花は紅色の八重咲きがほとんどだが、稀に白色の花を咲かせることもある。寒椿と山茶花とは花の開花時期もほぼ同じで、ほとんど見分けがつかない。厳冬期に咲く寒椿の花を見れば、誰もが、身が引き締まる想いになる。
〈法然院〉 京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町
3月・4月:杜若(平安神宮)
内藤 英治
平安神宮は明治28年、平安京奠都1100年を記念し、桓武天皇を祭神として創建された。その時、記念行事の一環として始められたのが時代祭である。広大な敷地を有し、近代日本庭園の代表ともいえる平安神宮神苑では、5月から6月にはカキツバタが淡い紫色の、何とも可憐な花を咲かせる。カキツバタは湿地に群生するアヤメ科の植物で、花はアヤメ・ハナショウブと似て、なかなか見分けがつきにくい。
〈平安神宮〉 京都市左京区岡崎西天王町
5月・6月:紫陽花(藤森神社)
兼先 恵子
藤森神社は深草の産土神(うぶすながみ)で、神功(じんぐう)皇后の創建と伝えられる。武神としての信仰が厚く、端午の節供に武者人形を飾るのは当社に始まるともいわれている。藤森神社は「紫陽花の宮」としても知られ、初夏には2カ所ある紫陽花苑で、色とりどりの紫陽花が一斉に花を開く。「紫陽花」という漢字表記は、元は唐の詩人の白居易が別の花に付けたもので、平安時代に当時の学者が、この漢字を誤ってアジサイに充てたことに由来するといわれている。
〈藤森神社〉 京都市伏見区深草鳥居崎町
7月・8月:蓮(三室戸寺)
春日井 路子
三室戸寺は宇治市にある本山修験宗の寺院で、西国33所霊場第10番札所として広く知られている。寺伝によれば、8世紀に光仁天皇の勅願によって大安寺の僧行表が創建したと伝えられるが、定かではない。本尊は千手観音菩薩であるが、この像はきわめて厳重な秘仏とされ、写真も一切公開されていない。境内にある蓮園では、6月から8月に百種の蓮が一斉に花を咲かせる。その光景たるや、まさに極楽浄土のようだと親しまれている。
〈三室戸寺〉 京都府宇治市菟道滋賀谷
9月・10月:貴船菊(貴船神社)
内藤 英治
貴船神社の地は賀茂川の水源にあたり、京の水を司る水神を祀る社として崇敬を集めてきた。貴船菊は正式には「秋明菊」といい、中国移入の植物である。菊の名が付くが、実際は菊ではなくアネモネの仲間である。菊ではないのに秋に菊に似た花を付けることが特徴だ。貴船神社周辺に多く自生したことからこの名が付けられたようだが、ほかにも「紫衣菊(しえぎく)」「加賀菊」「越前菊」など、多様な呼び名が伝えられている。
〈貴船神社〉 京都市左京区鞍馬貴船町
11月・12月:山茶花(蓮華寺)
井隼 慶人
蓮華寺は上高野にある釈迦如来を本尊とする天台宗寺院。応仁の乱以前は七条塩小路に建つ西来院という時宗の寺であった。山茶花は晩秋から冬のもっとも寒い季節に淡い色の花を咲かせる。「焚き火」の童謡に登場してから、広く知られるようになった。「山茶花」の漢字は、中国語でツバキを指す「山茶」に由来し、サザンカの音は、山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれている。
〈蓮華寺〉 京都市左京区上高野八幡町














