- 初めての発作
- 生後4か月で初めての発作。病院に着くまでに感じたのは不安と自責の念でした。
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娘が初めて発作を経験したのは、生後4か月のときのことです。すぐ上の長男に風邪様症状があり、娘にも同様の症状が出ていたので小児科を受診する予定にしていました。すると、朝起きがけに全身がピクンと反応したのです。熱はそれほど高くなく、熱性けいれんではないと思いつつも、こんな症状は今まで見たことがありません。消防士として救急現場の経験がある夫と、「風邪?それとも熱性けいれん?一体……」と不安を覚えながら小児科へ向かう道中で、娘は泡を吹いてしまいました。小児科に着くなり熱性けいれんと言われ、すぐに現在のかかりつけでもある公立病院へと救急搬送されました。
自宅を出てから小児科に着くまでのとてつもない不安と、小児科で病名を聞いた瞬間の「何でもっと早く気づいてあげられなかったんだろう。本当にごめんね」という自責の念。その一方で、診断がついた安堵感がぐちゃぐちゃに交錯していたのを覚えています。
- 繰り返す発作…
- 繰り返すけいれん発作から、てんかんの可能性があると言われました。
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その後、2回ほど熱性けいれんを繰り返し、生後8か月に起きた3回目のけいれん発作で以前受診した小児科に救急搬送されました。詳しい検査はしませんでしたが、「症状から、てんかんの可能性がある」と言われました。娘は発熱時に限って発作を起こしていたものの、単なる熱性けいれんではなく、「熱性けいれんを繰り返しやすい体質の子に生じることがあるてんかん」との診立てで、これは公立病院の先生も同じ意見でした。
- 発作がコントロールできない日々
- 群発やけいれん重積状態がひどくなり、治療しても発作がコントロールできない状況が続きました。
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それ以降、群発やけいれん重積状態が目立つようになりました。公立病院には大学病院から来た医師が診療にあたっていたこともあり、その関係で大学病院へ受診することに。薬物治療を始めると発作の回数は減り、発作の間隔が延びるといった効果もみられました。しかし、徐々に、薬を切り替えたり、他の薬の追加や増量したりしても発作をコントロールし切れなくなっていきました。救急搬送のたびに入院を繰り返し、自宅より病院で過ごす時間が長い状況が続きました。
- 「ドラベ症候群」診断
- 受け入れがたい現実に戸惑いましたが、それでも前を向くよう努めました。
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そんなとき、発作の回数が多すぎることや群発も認められることから、先生に「1歳になったらドラベ症候群を視野に入れた遺伝子検査を」と提案されました。聞き慣れない病名に戸惑いつつ、夫とインターネットで検索すると、娘の症状がすべてあてはまることに驚き、“急性脳症”といった耳を疑いたくなるようなワードも出てきて、現実を直視できませんでした。
1歳4か月でドラベ症候群と確定診断されたときも、とにかく悲しくて、「どうしたらいいんだろう。自分と同じように、娘も日常生活や学校生活を楽しんで、恋愛したり、いずれは結婚したりという将来の選択肢が閉ざされてしまうの?」と嘆きました。ただ先生から、「病気が特定できたことで、これからはより適切な治療が行える。悪いことばかりじゃない」と説明され、前を向くよう努めました。
- 大発作から入院へ…
- 徹底した対策で娘の感染リスクを減らしても、大発作が起こり1か月の入院を強いられたのです。
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まず、ドラベ症候群と診断される前から、娘が感染症にかかるのを避けるため、こども園に通わせていた長男をしばらく休園させることに。かかりつけ医の「お兄ちゃんの成長に影響が出ないよう、集団生活を再開しましょう」との助言もあり、現在は通園を再開していますが、当時は完全自宅保育にして外出を最小限とし、家族全員のマスク着用や帰宅後の着替えなど、感染対策を徹底していました。そのおかげで診断前後の3か月間は発作もなく、風邪を引かず発熱もない状態で過ごすことができたのです。
しかし昨年末、大発作を起こして大学病院に1か月ほど入院となりました。また、入院中には呼吸状態が悪化して気管挿管となり、PICUにも1週間ほど入りました。その時点で抗てんかん薬を4剤併用していたのですが、量の調整に苦慮していました。ちょうど私が4人目の子供を出産した時期と重なったので、色々と大変でした。
- 新しい薬へ挑戦
- 家族会で知った新しい薬のこと。不安や迷いはありましたが、試せるものは何でも試してみようと決めました。
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そんな折、ドラベ症候群の患者家族会を通じて新しい薬の存在を知りました。会のグループLINEでも話題に上がっていたので、WebやSNSで薬を飲んでどうだったかという体験談などを調べ、知識を深めました。
先生からは新しい薬について、「効果があるとは限らない。副作用は必ずある。でも効果があれば、他の薬を徐々に減らせる可能性もある」と説明を受けました。不安や迷いはありましたが、これまで処方された薬にも何かしらの副作用はあったので、「ひどければやめればいい。試せるものは何でも試してみよう。効果がある方に懸けてみよう」と決めたのです。
- できるようになったこと
- 新しい薬で発作の様子に変化があり、以前よりも入院の回数が減ったと感じています。言葉数が増え、意思疎通がしやすくなりました。
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娘が誕生日直前まで入院していたので、退院翌日から新しい薬を、これまでの4剤に追加する形で始めました。その後、早い段階で発熱を伴う風邪様症状が何度もあり、夫と「この熱だと、きっと発作が起こるね」と話していたにもかかわらず、解熱剤を予防的に使うことで発作は抑えることができました。そのため、大学病院への入院もせずに、月1回の定期的な診察だけで過ごせています。
発作が落ち着いたせいか言葉数はかなり増え、意思疎通が図れるようになりました。大切な発達期に発作がなく、成長を見守れるのはとても嬉しいことです。
- 生活の変化
- 家族みんなで出かけられるようになり、生活に変化が見えてきました。
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発作がコントロールできるようになって挑戦できることが増えました。これまでは私か夫のどちらかが娘と留守番をしていたのですが、今では家族みんなで出かけられるように。たとえば、長女が参加するスポーツ少年団の大会へ応援に出向けましたし、先日は一泊二日の温泉旅行にも行くことができました。
そして次はこども園への通園や、もう少し大きくなったら通常の学校へ通いたいという目標をもって治療にあたっています。これまで感染予防のため家族以外との接触を避けてきましたが、「同年代の子どもたちと交流し、お友達を作って一緒に遊べるようになれるかも」と思っています。
- 感謝の気持ち
- 支えてくれる家族と医療スタッフには、感謝の気持ちでいっぱいです。
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家族のサポートには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。長女は娘の服薬をいつも手伝ってくれますし、3歳の長男や生まれたばかりの次男の面倒もみてくれます。敷地内に同居する夫の両親は、どうしても娘を残して外出しなければならないときの留守番を引き受けてくれますし、昨年末に娘が大発作で入院した際には、次男の出産を間近に控えていた私の代わりに付き添ってくれて、子どもたちの学校や病院への日々の送り迎えも手伝ってくれます。
また、子どもたちを診てくれるかかりつけの公立病院の先生や看護師さんが、いつも親身になって話を聞いてくださるのも大きな支えになっています。
- メッセージ
- 治療にお困りのみなさんへ:
同じ境遇にいるご家族へ -
変化に直面するとき不安になるのは当然です。でも、まずは試してみると意外にうまくいくこともあります。うまくいかなければ、また別の可能性に懸ければいい。そんな勇気と希望を持つことが何より大事だと思います。そして家族はもちろん、同じ不安や悩みを抱えるご家族と気持ちを共有できる家族会の存在は、とても心強く頼りになります。そうしたつながりを活用して理解や知識を深め、前向きに治療に取り組んでいって欲しいです。
