2016年 カレンダー京の守護神

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京には、数え切れないほどの社寺が存在する。そこではさまざまな神仏が祀られているが、祭神や本尊に縁のある生き物がともに祀られていることが多い。このような「神仏の遣い」ともいえる鳥獣たちは、一般に「眷属神(けんぞくしん)」と呼ばれる。具体的には、猿・牛・猪・亀・狐・鶏など実在の鳥獣もいるが、なかには鷁(げき)や鳳凰(ほうおう)、龍(りゅう)などの架空の生き物も見られる。これらの、京のまちを見守る守護神ともいうべき生き物たちに注目してみると、人と動物たちが共生していた、古き時代の人々の祈りの姿が浮かび上がってくる。

赤山禅院の拝殿の屋根には、檻に入れられた一匹の猿がいる。この寺がある修学院は、京の都から見て表鬼門の方角にあたるため、裏鬼門の方位としての西南西を指す「申=猿」が方除けの目的で祀られるようになったという。そういえば、比叡山の近江側の山麓に鎮座し、比叡山の地主神として延暦寺とも係わりが深い日吉大社の眷属神も猿である。これは、山の神である大山咋神が主祭神であることとも繋がりがあるようだ。つまり、猿は山の神の化身であると考えられていたのであろう。赤山禅院の猿は、昔、夜になると暴れて悪さをしたため、ついに檻に閉じ込められたと伝えられている。

京都御所の脇に鎮座する護王神社には、狛犬ならぬ「狛猪」がいる。護王神社と猪との関係は、祭神である和気清麻呂の伝説に由来する。奈良時代に天皇の座を狙わんとした弓削道鏡の野望を挫くために、清麻呂は豊後の宇佐八幡宮へ赴くが、それに怒った道鏡は清麻呂の足の腱を切った上、大隅国への流罪にする。大隅国へ向かう清麻呂一行が豊前国に至ると、どこからともなく300頭余りの猪が現れて、道鏡が送り込んだ刺客から清麻呂を守ったという。ゆえに清麻呂と猪との繋がりは深く、清麻呂生誕地にある岡山県和気神社にも、猪が眷属神として祀られている。

松尾大社の神の遣いは、亀であるといわれる。当社に伝わる伝説によれば、松尾の神は大堰川を遡って丹波の地を開墾するに際して、緩流では亀に乗り、急流では鯉に乗ったとされる。伝説の背景には、松尾大社と深い係わりを有する渡来系氏族の秦氏が、大堰川の治水をはじめ、葛野郡から保津峡を遡って広く丹波地方をも開拓したという歴史が秘められているのではないかと思う。そういえば、亀岡市に鎮座する大井神社は松尾大社と深い係わりを有する古社であるが、その神の遣いは鯉であるとされ、今でも氏子たちは鯉を食することを禁じている。

宇治平等院の神の遣いは、言わずと知れた鳳凰である。鳳凰は古代中国の神話に登場する想像上の霊鳥で、日本以外に朝鮮半島にも広く分布している。鳳凰は中国の文献によれば、聖天子の出現を待ってこの世に現れるとされる瑞鳥であり、霊泉の甘い水だけを飲み、120年に一度しか実を結ばない竹の実だけを食し、アオギリの木にしか止まらないといわれている。鳳凰のモデルとされた鳥には諸説があるが、マレー半島に生息する大型鳥のカンムリセイランだとする説が有力のようだ。

祇園祭神幸祭、すなわち7月17日の前祭(さきまつり)二十三基の山鉾の最後尾を行く「船鉾」の先端には、羽を大きく広げた一羽の大きな鳥が飾られている。これは「鷁」という中国の想像上の水鳥で、白い羽を広げ、風に耐えて大空を羽ばたくとされていることから、昔から船首の飾りとして用いられてきた。そういえば、平安時代には「龍頭(りゅうとう)鷁首(げきしゅ)」という名の船が存在した。これは船首に龍と鷁の頭の彫り物を飾った二隻一対の船をいい、貴族たちが舟遊びをする際に用いたといわれている。

天龍寺法堂の天井には、躍動する見事な八方睨みの龍が描かれている。この雲龍図は、平成9年(1997)に日本画家の加山又造画伯が新たに描いたものである。そもそも龍は中国に起源をもつ仮想上の動物であるが、インドの蛇神であるナーガと習合し、日本にもたらされた龍は土着の蛇神信仰と融合して、龍と蛇は一体のものと考えられるようになった。かつては旱魃が続くと龍神に雨を乞う、さまざまな雨乞い儀礼がおこなわれた。空海が京の神泉苑で、善女龍王を祀って雨乞いをおこなったとする伝説はよく知られている。

日本全国、多くの社寺で見かけることから、神仏の遣いとされる生き物たちのなかで、もっともポピュラーなのは「狛犬」であろう。京の八坂神社も例にもれず、四条通を西に臨む西楼門の両脇には一対の狛犬がいる。狛犬は中国の唐から仏教とともに伝えられた仮想上の生き物だといわれるが、その由緒や時期は不詳である。少なくとも、獅子のような姿の動物を日本人が「犬」であると解し、朝鮮半島から渡来した犬の意として「高麗犬」、「狛犬」と称されるようになったと考えられる。

京を見守る「眷属神」たちは、実在のもの架空のものを問わず、すべて人間たちが到底持ち合わせない、自然のなかで生き抜いてゆくための特別な力を有しているように思う。それは、時に霊的・呪術的な力となって人間たちを凌駕し、また時には不可思議な予知力・透視力として人々を畏れさせるものでもあった。このような、人知を超えた存在だったからこそ、神仏の遣いと成り得たのだろう。そう考えると、人々が崇めてきた神や仏たちは、人間を限りなく崇高なる高みにまつり上げた存在というよりも、人々の畏怖の対象としての「自然」に近い場所に潜む存在だったのではないかと思えてきてならない。

表紙:赤山禅院の猿

赤山禅院は赤山大明神、すなわち陰陽道の祖神を本尊とする、方除けの天台宗寺院である。開創は平安時代の仁和4年(888)と伝えられる。慈覚大師円仁の遺言によって、安慧が建立したとされているが、詳細は定かでない。比叡山の千日回峰行とも関わりがあり、回峰行のなかに「赤山苦行」と称する荒行がある。これは百日間赤山大明神に花を供する行とされている。また千日回峰行を修めた大阿闍梨により、「八千枚大護摩供」「ぜんそく封じ」「へちま加持」「珠数供養」など、数々の加持・祈祷がおこなわれている。さらに都七福神の福禄寿の寺としても知られ、多くの都人から篤い信仰を集めている。

 

1月・2月:護王神社の猪

護王神社は足腰の守護神とされている。それは道鏡の野望を挫いた和気清麻呂が道鏡の恨みをかい、足の腱を切られて九州へ流罪になったと伝えられているが、多数の猪に命を救われた清麻呂の足はやがて治癒して、再び歩けるようになったとする故事に因むものである。毎月21日には「足腰祭」がおこなわれ、足腰の健康を願う大勢の参拝者で賑わう。

 

3月・4月:松尾大社の亀

松尾大社は「酒造の神」として有名である。その起源は定かではないが、社伝によれば、当社の開創に深く係った秦氏が酒造技術に長けていたことに由来するともいわれている。今日でも多くの酒造家たちの篤い信仰を集めており、境内にある「亀の井」と称される霊水を酒に混ぜると腐敗を防ぐことができるということから、酒造家たちがこの水を持ち帰る姿が後を絶たない。

 

5月・6月:平等院の鳳凰

9世紀末、光源氏のモデルとされた源融公の別荘だったものが、やがて藤原道長の別荘である「宇治殿」となり、道長の子の頼通がこれを寺院としたことが平等院の始まりとされる。当時は、釈迦入滅2千年以降は仏法が廃れるとされる、いわゆる「末法思想」が広く信じられており、貴族たちは平等院鳳凰堂に代表される阿弥陀堂を盛んに建立し、死後の極楽往生を願ったのである。

 

7月・8月:船鉾の鷁

京都祇園祭には2基の船鉾が存在する。1基は舳先に鷁を載せた前祭(さきまつり)の最後尾をゆく「船鉾」であり、もう1基は、平成26年(2014)に150年ぶりに復活を遂げた、後(あと)祭(まつり)の最後尾を飾る「大船鉾」である。いずれも身重でありながら男装して戦に赴き、勝利した神功皇后の新羅征伐の故事に由来するが、前祭の船が「出陣の船鉾」、後祭の船が「凱旋の船鉾」とされている。

 

9月・10月:天龍寺の龍

暦応元年(1338)に足利尊氏は征夷大将軍になるが、尊氏と反目しあった後醍醐天皇はその翌年に崩御する。尊氏が夢窓疎石の勧めによって、仇ともいうべき後醍醐天皇の菩提を弔うために建立したのが天龍寺である。尊氏が天龍寺建設資金調達のために、当時の中国大陸を支配していた元へ向けて、「天龍寺船」という貿易船を派遣したことはよく知られている。

 

11月・12月:八坂神社の狛犬

八坂神社は、明治以前はインドの牛頭天王を主祭神とする祭祀対象で、神仏混淆の色合いが濃く、「祇園感神院」と称されていた。平安時代から比叡山延暦寺の支配を強く受けていたことから、神社というよりも寺院であるとみなされていたようだ。明治元年の神仏分離令によって仏教的な色彩は一切排され、名称も「八坂神社」と改称された。今日では2千社を超す全国の八坂神社の総本宮として、「祇園さん」の名で親しまれている。