2023年 カレンダー京の恋うた
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「恋する」という行為は人類のみが有する特別な感情の象徴であり、野生動物と質的に異なる精神性でもある。野生動物は生殖行為こそおこなうが、そこに精神をともなった特異な感情は持ち得ないからだ。「恋」は洋の東西を問わず、人間生活にきわめて大きな影響をおよぼすとともに、場合によっては命に係わる営みともなり得る。だからこそ「恋」はこれまで、まさに高尚な人類文化にまで昇華し、さまざまな芸術の対象とされてきたのである。それは音楽の世界でも例外ではなく、「恋」を題材とした歌謡は、古来数えきれないくらい創造されてきた。
「恋」の種類は人の数ほどあるともいわれる。燃え上がる恋、立ち昇る恋があれば、耐えしのぶ恋、決して叶わぬ恋もある。「恋」は相手を想う感情から発するが、二人が出会った場所やとき、季節や天候など、さまざまな情景によって数えきれないほどの色彩を帯び、私たちの心に訴えかけてくる。なかでも、恋人の面影を印象づけ、身体の奥底から恋心が沸き上がってくるのは、思い出の場所に佇んだときであろう。その意味で、「恋」と場所とは切り離せない関係にある。
日本には、これまで「恋」が大衆歌謡に仕組まれて、永く謳われてきた町がたくさんある。それらはどこも「恋する」にふさわしい場所だ。札幌・函館・仙台・東京・横浜・京都・大阪・神戸・博多・長崎など、枚挙に暇がない。中でも京都は、群を抜いて数多くの恋うたに登場している。それもそのはず、とにかく千二百余年という想像を絶する悠久のときを刻んだ町であり、かつ世界中の人たちの憧れの地なのだから、当然であろう。
今回、取り上げた京の恋うたの歌詞を眺めてみて、改めて気づくことがいくつかある。ひとつは、京のなかでも、歌の舞台となった場所が限られていることだ。若干の例外を除き、舞台はほぼ洛外に集中している。清水・祇園・鴨川・大原・嵐山・嵯峨野・高雄。平安京造営当時の洛中洛外の境界は、およそ北は一条通り、西は天神川、南は九条通り、東は鴨川とされていた。ゆえに、これら恋の舞台は平安京の区画からすれば、都の外、すべて洛外であることがわかる。京の町において、恋にふさわしい場所とは、町中から少し離れた洛外の地、特に、風光明媚でかつ歴史ある社寺がある、東山から大原、嵯峨周辺に集中しているのである。
次に気づくのは、歌詞に謳われた「恋」はほぼすべて「悲恋」だということだ。渚ゆう子の『京都の恋』では「あなたと別れ、傷ついて」。かぐや姫の『加茂の流れに』では「あれははかない約束、涙に、涙にぬれて」。タンポポの『嵯峨野さやさや』では「きのう別れたあの人に」。小柳ルミ子の『京のにわか雨』では「ひとりぼっち泣きながら、さがす京都の町にあの人の面影」。デュークエイセスの『女ひとり』では「恋に疲れた女がひとり」。うめまつりの『北山杉』では「君の足跡かくれて消えて、涙まじりの雪払い」。都はるみの『古都逍遥』では「逢いたい逢いたい、今の君に逢いたい」と謳われている。すべて、叶わぬ恋の当事者がそこにいる。
さらに、歌詞のなかに描かれる季節は秋から冬が多い。『京都の恋』で謳われる「白い京都に雨が降る」とは、晩秋から初冬の情景なのだろうか。「白い京都」とは、みぞれ交じりの雨に煙る街並みを謳ったのか、あるいは靄にかすむ木立をイメージしてなのか。『北山杉』で謳われる「冷たい雨が雪になり」とは、やはり初冬の情景なのだろうか。
たとえば「埒が開かない」は、今や競馬をテーマとしたことわざだと思われがちだが、これは京都の上賀茂神社の較べ馬という神事に由来したことわざである。勝敗が決するまでは馬の出入口である埒、つまり柵が開かないことに喩えて、物事が終結しない様を表わしている。また「後の祭り」は、祇園祭の還幸祭、通称「後の祭り」を喩えに、好機を逃してしまって悔やむ様子を伝えることわざである。さらに「堂々めぐり」という表現も、清水寺で行われていたお百度参りを喩えとして、同じことが繰り返される様を伝える表現として普遍的に語られている。このように、京都を題材として今や全国的に知られてよく用いられていることわざは枚挙に暇がない。
どうやら、京を舞台とした恋うたには、叶わぬ恋を体験した女性が、晩秋から初冬に京の町を訪れて、清水や大原、あるいは嵐山、嵯峨界隈で、寒々とした心の内をひとり噛みしめながら佇むという設定がもっともお似合いなのだろう。そこには、京独自の気象や季節感が背景にあるように思う。京ほど寒暖の差が激しい土地はない。冬の耐え難いような底冷えから夏の酷暑まで、想像を絶するほどの温度差がある。特につるべ落としの晩秋から初冬にかけては、急激に気温が下がり、今にも泣き出しそうな曇天の空の下では、心も冷え冷えとして、もの悲しさが倍増する。そこが、叶わぬ恋を謳うにふさわしいのだろう。もう帰れない過去を想い、霞かかる空を見上げて流す女の涙は、京の魅力をさらに際立たせるのかもしれない。
文:八木 透