2021年 カレンダー名歌京都百景
(千年の名歌で巡る京景色)

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和歌を通じて、京都の良さを改めて見なおすことのできるカレンダーです。京都は「古今和歌集」以来、今日に至るまで多くの歌人によって、和歌に詠まれています。そこで、古今和歌集と新古今和歌集から、名歌の舞台となった名勝地の魅力を紹介。和歌のこころをさぐる、いわば名歌で巡る京景色の旅といえます。

表紙:梨木神社

王朝時代から人々の暮らしに、 常に可憐に咲きこぼれていたのが萩といわれています。万菓の時代に最も愛された秋草です。そんな萩が御所の横にちょっと流れたような場所に梨木神社があります。 細長い参道の脇にずっと萩がしなだれ咲いています。ここで九月の第三日曜には「萩まつり」があります。梨木神社は「萩の宮」ともいわれ、京都を代表する萩の名所としても知られており、「萩まつり」の日には参道から社殿前まで咲きみだれる萩の花を愛でる参拝者で賑わいます。

 

1月・2月:北野天満宮

春の夜の 闇はあやなし 梅の花 
色こそ見えぬ 香やはかくるる

凡河内躬恒(古今和歌集四一)

闇のとばりは何もかもすっぽり包み隠してしまうものだが、春の夜の闇は、どうも中途半端だ。盛りの梅の花の、姿ばかりは見えないが、香りは隠れはしないのだ。
・梅の香りの素晴らしさを正面から読むのではなく、「春の夜の闇」を擬人化して詠んだ点に趣向がある。

 

3月・4月:鴨川

うちなびき 春は来にけり青柳の 
影ふむ道に 人のやすらふ

藤原高遠(古今和歌集九六)

ゆらゆらと、春の喜び。待望の春を迎えた京。うららかな光が注ぐ都大路では、道端の影を踏みながら都人が休んでいる。
・おだやかな情景がさらりと詠まれたこの歌からは、今も昔も変わらない春を迎えた喜びが伝わってくる。「うちなびき」は春の枕詞。その語感は、柳の枝がしなやかに風になびく様子を連想させ、のどかな雰囲気を醸し出している。

 

5月・6月:平安神宮

さつき待つ 花橘の 香をかけば 
むかしの人の 袖の香ぞする

詠み人知らず(古今和歌集一三九)

五月を待っていたかのように咲き始めた花の香りをかぐと、昔知っていた、あの人の袖の香りがよみがえってくる。
・思い人の香り。無意識のうちに心に忍び込み根を張る香りの記憶は、どんなに時間が経っても、人間を一瞬で過去のある時期、ある場所に引き戻す。その不思議な感覚は、今も昔も変わりない。

 

7月・8月:宇治川

鵜飼舟 あはれとぞ見る もののふの 
八十宇治川の 夕闇の空

慈円(新古今和歌集二五一)

火を焚いている鵜飼舟をしみじみあわれ深く見る。宇治川の夕闇に包まれた空の下で。
・京都・宇治川の風物詩「鵜飼」毎年六月半ばから八月にかけて、宵闇の川面に鵜飼舟が浮かぶ。墨を流したように真っ黒な水面に、ゆらゆらと映りこむ橙色の火と巧みに鵜を操る姿に夏の暑さをしばし忘れる。

 

9月・10月:京都御所紫宸殿

月みれば 千々にものこそ かなしけれ 
我が身ひとつの 秋にはあらねど

大江千里(古今和歌集一九三)

月をみていると、さまざまに悲しい思いがつのってくる。なにも、自分一人だけの秋ではないのに。
・月の優しい光に見とれていると、不思議と郷愁にかられるのは日本人特有の喜びだろうか。いつのまにか冷たくなった夜風を肌に感じた瞬間、うずき出す心の痛み。千々の悲しみと、ひとつの我が身との対比が、人間の孤独を強調しているようだ。

 

11月・12月:大堰川嵐山

思ふこと なくてぞ観まし もみぢ葉を 
嵐の山の ふもとならずは

藤原輔尹(新古今和歌集五二八)

もしここが嵐吹くという嵐山のふもとでなかったならば、この美しい紅葉をなんの心配もしないで見ようものを。
・初冬の薄日に照らされる嵐山。鈍くきらめく水面には、枝先を離れた紅葉がひらりと舞い落ち、ながれてゆく。刻一刻と表情を変え、見るものを飽きさせないその美しさは、今も昔も変わらない。