2022年カレンダー絵画(表紙)

敵は本能寺にあり(本能寺)

敵は本能寺にあり(本能寺)

兼先 恵子 作

季節:夏 エリア:中京区

京のことわざで最も有名なものといえば「敵は本能寺にあり」。真の狙いは、表面に掲げたものとは別のところにある。また、もっともらしい口実を設けて人の目をあざむき、ひそかに本当の目的を実現しようとすることのたとえ。

天正十年(1582)六月一日、織田信長に仕えていた丹波亀山城主明智光秀は、備中(現在の岡山県)で戦う羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の援軍として出陣するよう命じられたが、一万三千の大軍は備中に向かわず、老ノ坂から桂川を渡る。「わが敵は本能寺にあリ」と謀反を決断、二日夜明け前にはわずか百余の手勢しかいなかった本能寺を急襲した。信長は本能寺に火をかけ切腹した。当時の本能寺は、四条西洞院を北へ上がったところにあった。